縁側がある家 ど田舎コラムvol.2|古民家noie梢乃雪こずえのゆき

縁側がある家 ど田舎コラムvol.2

縁側がある家 ど田舎コラムvol.2

2014.07.09

我が家の自慢、縁側。

我が家の自慢の一つ。

それは、縁側が我が家にある。
ということです。

正確に言えば我が家のものは「濡れ縁」。
発音すると「ぬれーん」となる為、古民家を詳しく知る建築士さんにそのことを教えてもらったとき、ぼくはなんのことだかわかりませんでした。

濡れ縁は雨風を防ぐ雨戸や建具がない縁側のことです。
雨や雪にさらされる、和風のバルコニーといったところでしょうか。
我が家の縁側は元々は濡れ縁で、昭和の頃に木枠にガラスがはめ込まれた建具が後から付けられたようです。
縁側内側の鴨居をみれば、中側との変色の違いが明らかであります。

畳敷きの縁側でくつろげる

床板も大変無骨であった為、我が家では畳を敷いて足を伸ばしたり、寝転がりくつろぐことができるようにしています。

この縁側。
くつろぐことにおいては右に出る空間はそうはない!
と断言できるほど、なにしろくつろげる空間なのです。

お屋敷や町屋のようなお家の縁側は庭に面して、涼と美を堪能できる場所。
そして我が家は、川を挟み向こう側のそびえる山々に向かって造られているので、自然そのものを堪能できる場所となっております。

それはまるで切り抜いた絵のように。
中から見る外を切り取って。
カメラを向ければ、逆光に人々は影となり。
ひたすらにそこには緑が広がっているのです。

外と中を曖昧にする縁側

 

縁側とは、日本人がもつ気質を具現化したような造りをしている。
そんなことをぼくは感じております。

外と内を曖昧にして。
決して拒まず、外との絶妙な距離感を図った場所。
「どうぞ。」と、外からきた人々を受け入れることのできる場所。

外と内を曖昧に、徐々に距離感を近づけて。
それはまるで、日本人がもつ気質を表現しているように感じるのです。

人と人とのご縁の側に。
ご縁とご縁を繋ぐ場所。
それが、縁側なんだと思います。

ただ縁側で流れる時間に身を浮かべ。
風を感じ、瞼を閉じて。
足を伸ばしあくびをして。

広がる景色を眺めることも。
食事をすることも。
鳥の声や川の音をきくことも。
うたた寝をすることも。
外に堕ちる雨の雫を追いかけることも。
自分自身と向き合うことも。
ただ、なにもしない。時間を過ごすことも。

外と内が共存する場所。
そこには、日本独特の美と。
曖昧さが存在します。

この縁側に腰をおろし。
少しだけ、考えてみたり。
少しだけ、考えることをやめてみたり。
少しだけ、自分自身の声に耳を傾けてみたり。

そんな時間を過ごしてみてはいかがでしょう。

我が家はいつでも。
縁側のように。
外と内を曖昧にして、人々とのご縁をいただいているのです。

縁側がある家に。
「どうぞ。」
外から内に。

お入りください。

古民家に棲む。ということ

2014.04.13

名ばかりオーナーたつみのど田舎コラムvol.1 【古民家に棲む。ということ】

私たちはいわゆる‘古民家’に棲んでいます。 古民家とは、その字のとおり古い民家。 古いものの趣や、失われるものに対しての価値が見直され始めた昨今。 私たちが棲家とし、人々を受け入れているこの家。 「屋号栗元」もそのいわゆる古民家です。

屋号栗元の歴史。 それを詳しく知る方はいまの集落には誰一人もいません。 それは、この家が誰よりも長く生きているからです。 いまの日本の家屋・土地の歴史を記す登記簿制度が誕生するよりも古い歴史。 登記簿にはこの家の建築年月日を「明治20年」と記しておりますが、古民家を専門にお仕事をされている建築家曰く、それ以上に古い建築である。と話しております。 おそらく江戸後期〜明治初期に建てられたものであるとのことで、我が家は推定150年であると思われます。

そんなとにもかくにも古い!!この家には それはもう趣やら魑魅魍魎やらの気配や雰囲気をこれでもか!と纏い。 人々の出逢いと別れ生き死にを幾度と繰り返し。 いまも尚人々の流動を見守り続けておる家なのです。

そんな歴史深い家に私どもが恐れ多くも棲家として入ったのが2009年3月。 廃墟と化していた家が趣を取り戻すまでに様々な苦楽を経過し。 2011年4月より「古民家ゲストハウス梢乃雪」 という新しい歴史を刻み始めました。

古民家に棲む。 と、言葉にすると。 田舎や自給自足的な生活に憧れをいただく方々からすればそれはとても魅力を感じることなのかもしれません。 その時間はのんびりとしていて、自給自足的で、自然的な生活。 そんな感覚をおぼえるかも知れません。 もちろんそれらの理想的なものは間違いなく存在します。 しかし。 意外にも難しいことは少なくない。

それはもちろん。 まずは‘古いこと’それと ‘田舎に住む’という二つの理由から成ります。 (今回は田舎についての話は趣旨から外れる為割愛します)

古民家ってどんなもの?? そんな話になることがよくあります。 そんな時、ぼくは「旧車みたいなもんですよ。」 と答えます。

古いが故にはらんでいる不都合

①とにかく寒い!!

あれ?この家、夏の快適性を追求してるのかな?? と、思えてならない程通気性がいい。故に虚弱な気密性は冬場に大量の燃料を燃焼させることになります。

②古いからそもそも痛んでる

あっちもこっちもぽんこつです。 壊れるのではありません。既に壊れているのです。 旧車と同じですね。あっちこっち壊れては直してのいたちごっこ。 故に日曜大工の域を越えた大工技術が必須となります。 我が家では家主が専属の定年大工要員となっております。

③古民家に対しての知識と技術が衰退している

これは旧車でいうところの廃盤となったパーツ・部品が入手困難な状況に似ています。 全てがシステマチックに組み立ての出来る近代建築からは想像もできない技術で建てられた家。 この家の改修を任せることのできる職人はどこにいるのか? そんな状況だと思います。 (我が家は最高の棟梁が手がけてくれました)

最近はリノベーションと銘打って自分自身で改修を行うDIYが流行傾向でありますが知識が多少なければDIYはおすすめ出来るものではありません。 古民家は生活の知恵と技術の集合体。 柱や梁が煤で黒く染められている意味。 基礎が石で家が何にも固定されていない意味。 釘を使用せずに組み上げられた構造の意味。 土壁が土壁である意味。

もちろんなんの干渉も受けないような改修個所もたくさんありますが、知識無く家に手を入れることは家の歴史に手をかけてしまうことに繋がることがあるのです。

大きくこれらの理由が古民家に住む上で起こる不都合です。 これらを乗り切れることのできる方であれば、きっと素敵な古民家ライフをエンジョイできるのだと思います。

古民家に住むようになった経緯

ぼくはそもそも古民家という建物に興味がありませんでした。 それこそ都会的なスタイリッシュなデザイナーズ建築や、レンガ調に造られたメゾネットなんかに住みたいと思っておりました。 小谷村移住の際に村の方から紹介された家。 それが、いまの屋号栗元であったのです。

わくわくを抑えきれない父と、そのテンションについていく気すらなかった息子。 そのぼくがこの古民家を愛して止まなくなった経緯。 それは我が家の改修を鼻歌を歌いながら取り組んでくれた棟梁の言葉がきっかけでした。

「木の家ってのはな。 生きてるんだ。 木ってのは腐らない限り生き続ける。 ここら辺の家は人が住まなくなってから5年くらいで潰れてしまう。 理由は雪の重みと湿気って言うけどな。 俺はそうだとは思っていない。 木の家は生きている。 だから、主人を持たなくなった家は自然に還ろうとして潰れるんだ。 主人がいない家は、家の形をしている必要がなくなるからな。 この家は生きてるんだ。 大事にしろよ。」

家が、生きている。 衝撃的な言葉でした。 命有るものは動植物だけではない。 150年もの月日をこの地で建ちながら見守り続けたこの家には。 確かに命を感じることができる。

この家と共に暮らそう。 この家で共に暮らそう。

そんなことを考える様になりました。

古くて大きな家。 歴史と時間を過ごした家。 多くの人の生き死にを見届け、人々の集いの場所となり、何かを生み、守り続けた家。 ‘家’というものは、ただの形ではない。

こんな家を譲り受けることができたことに喜びを感じ。 大切にしていきたいと思い始めました。

この村では年々古民家が主を失い、朽ち果てていきます。 灯りの灯らない家。 笑い声の聞こえない家。 家がもつ可能性を失った家は、全てを無とし自然に生涯の役目を全うし還っていくのです。 なんとも寂しい限り。 とは言え、日に日に失っていくという事実を止めることはいまの私たちにできることでありません。

だから。 少しだけでも。 この家を通じて、家ができる可能性を追求したい。 そんなことを想い日々この家に守られながら時間を過ごしている次第です。

古民家に棲む。ということ。 それは、家と共に生きるということ。 苦楽を共にするということ。 家が持つ歴史に経緯を払い構成に受け継いでいくということ。

人と人を繋ぐ場所。 そんな家で有り続けることが、古民家に棲む。ということなのだと。 存分に主観を交え私は考えているのです。